落語家
日本在住スウェーデン人
人生の行き先を決めるとき、三遊亭じゅうべとして知られるヨハン・二ルソン=ビョルクさんは、演劇への情熱と日本への興味で板挟みになりました。そのとき落語と出会い、これが二つの完璧な組み合わせとなりました。この伝統的なコメディーを演じることが日本文化に浸ることとスポットライトへの道筋を示してくれたのです。日本人以外で落語家の弟子入りをした数少ない外国人として注目を浴び(以前はボルボ亭イケ也という芸名を使っていた)、師匠のレベルに到達することを目指しています。
私が日本で通った東京フィルムセンターという演劇の学校は、ヨーロッパの学校と比べて随分違っていました。演じるのは自由で創造的なことと思うかもしれませんが、日本ではとてもきびしいのです。創造的というより、しきたりと上下関係に従うことが大事です。外国人としてそれを身をもって体験しました。私が初めてこの制度を東京で体験したわけですから。落語自体はとても伝統的なもので、普通の庶民が楽しむものでした。それが年を経て制度化されて、今落語家はしゃれた芸名をもっています。私の努力を認めてくれる人もいますし、すぐにあきらめて辞めるだろうという人もいます。ですから自分にできることを証明する必要があるのです。
ミニマリズムに魅了されました。演者も一人だけ、道具もほとんどなしですから。それなのに、ものすごく広い内容がステージで繰り広げられるのです。ほとんどはコメディーですが、悲劇もあり、持ち金をすべて賭けでなくしてしまう絶望的なアンチヒーローの話もたくさんあります。江戸時代の話がほとんどですが、そのころの人々の暮らしを知るのは面白いですし、こういった話が現代のお客さんにどう響くかを見るのも興味深いです。
はい、スウェーデンでは日本文化を紹介し、日本ではスウェーデンを代表しスウェーデンの文化とものの考え方を紹介しています。時々スウェーデンはどんなに人が少ないか冗談で言ったりしますよ。木と森しかなくて、たまにイケアの店があちこちにあるだけとかね。でもあまりそういうことを言わないようにしなくては。将来は日本だけでなく、海外でも落語をしたいですね。できればスウェーデンでもしたいのですが、中には外国語にはできないオチもありますからね、ダジャレなどは。
植物学者のカール=ペーテル・ツンベリについての落語を書こうと考えていました。どうやって江戸時代に日本に来たのかなど。そうすれば江戸文化と出会ったスウェーデン人の背景を知ることができますし、日本に来る中で可笑しな出会いもいくらかあったと思いますよ。